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5月20日 京都室町LC CN33周年記念例会
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割烹みや川前を10時に出発し一路京都へ向かいました。今年は全日空ホテル京都での宿泊となり、二条城の近くで大変良いところでした。集合までの約2時間ゆっくり休憩することが出来ました。午後4時半にロビーに集合し迎えに来られた京都室町LCの方と例会場のホテルオークラに行きました。例会場では本日、お坊様の結婚式があり、披露宴には約300名近く方が出席されていた様です。大変に大きな結婚式に驚きました。それが済んでからの記念例会なので、終了するまでロビーで待つことになりました。
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CN33周年記念例会は午後6時に始まりました。会長L.神本の開会ゴング、国歌「君が代」斉唱、「ライオンズクラブの歌」合唱、物故ライオンに対し黙祷と続きました。ご来賓の紹介は迎接委員長のL.鈴木が勤め、ATC先より7名の方々、ライオンズクラブ関係では、1R2ZゾーンチェアパーソンL.八木、1R2Zの京都西LC、京都朱雀LC、京都加茂LC、京都ミレニアムLCの4クラブ、3R3Zより京都嵐山LC、京都嵯峨野LCの2クラブで会長・幹事の各2名、姉妹提携クラブとして金沢ひかりLC(会長以下14名)、鎌倉LCより幹事1名でした。
パワーポイントによるアクティビティ報告で、「長刀鉾車輪展示ケース清掃」、「長刀鉾保存会へ奉賛金を奉納」など、京都ならではの活動に感心しました。また数年前から実行されている「二条城お堀用水クリーン作戦 炭の引上げ」などユニークな活動も興味をそそるところです。何しろ数多くの活動に驚きました。また、メンバー一同による「京都室町ライオンズクラブの歌」も毎年感心させられるところです。
暫しの休憩をはさみ、第二部が計画委員長L.中井の司会で始まりました。開宴のことばは、第一副会長L.石川が勤め、京都西LC会長L.中村による乾杯で、楽しい食事となりました。しばらくして赤い大きな獅子が会場に現れ、大きな口で頭に噛み付くしぐさをして回りました。これは「中国スーパー雑技団」の2人での演技でした。獅子に噛まれると縁起が良いとのことでした。噛まれた人がステージに集まり各人にワインが1本あて贈呈され、良い結果がすぐに現れました。中国スーパー雑技団の妙技は、「壷まわし」、「顔面の瞬時の変化」特に最後の「椅子を積み重ねての逆立ち」は、会場がしーんとなり手に汗握る思いで見ていました。最後は盛大な拍手を送りました。
宴のたけなわとなり、京都朱雀LC会長L.廣瀬のライオンズローアで締め、閉宴のことばは第二副会長L.今江が勤めました。皆で手に手を取り大きな輪となって「また会う日まで」を合唱し再会を誓って別れを惜しみました。(20:55)
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CN33記念例会開会ゴング
会長 L.神本挨拶
1R2ZゾーンチェアパーソンL.八木祝辞
金沢ひかりLC会長L.上浦祝辞
鎌倉LC幹事L.石田祝辞
日本自立生活センター所長 矢吹様祝辞
アクティビティ報告
アクティビティ報告
京都室町ライオンズクラブの歌
京都室町ライオンズクラブの歌
開宴のことば 第一副会長 L.石川
京都西LC会長 L.中村の発声で乾杯
楽しくお食事
楽しくお食事
京都室町LCの女性会員
楽しくお食事
京都室町LCライオンレディー
京都室町LCライオンレディー
獅子舞(中国スーパー雑技団)
獅子に頭を噛んでもらうと縁起が良いそうな
祝チャターナイト33周年記念例会
獅子の中は二人でした
獅子に頭をかまれた人にワインを進呈
壷の妙技
自由自在に操ります
顔の面を一瞬にして変える
不思議な早技 7〜8通り変化
四本のビンの上に椅子を置いて
何段にも椅子を重ねて
すごい腕の力
L.山田夫妻を囲んで
京都朱雀LC会長 L.廣瀬の発声で
ライオンズローア
閉宴のことば 第二副会長 L.今江
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5月21日 京都室町LC 観光(平清盛の京を歩く)
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記念例会の翌日、ゴルフ組は7時出発で八日市カントリークラブへ、観光組は9時にホテルを出て〜平清盛の京を歩く〜と言うことで東山の方へ車を走らせました。最初に訪れたのは通称
「三十三間堂」
で親しまれている正式名「蓮華王院」。中学の修学旅行以来の訪問となりました。1164年に平清盛が造進したが、約80年後に焼失した。すぐに復興に着手し1266年に再建された。室町・桃山・江戸そして昭和と4度の大修理により700余年間保存されている。堂内には1001体もの観音様がまつられている。次にすぐ隣の
「法住寺」
へと進んだ。平安中期に藤原為光によって建てられた。院政期には後白河法皇の離宮・法住寺殿が営まれ後白河院政の拠点となったが、木曽義仲によって焼き討ちされた。その際、義仲が放った矢は天台座主に当たり、法王は難を逃れた。このことから本尊である不動明王像は「身代わり不動尊像」と呼ばれるようになり、後白河法皇の念持仏として祀られている。
車に乗って北に進み
「六波羅蜜寺」
へ向かった。こちらは、平安後期、清盛の父・忠盛が境内に自軍を駐留させたことをきっかけに平家の拠点となった。清盛・重盛の頃には5200もの一門の邸宅が建ち並んだといわれる。平安末期の戦火によって諸堂は焼け落ち、本堂だけが焼失を免れた。境内には供養塔の清盛塚がある。少し時間もあったので、少し車で南に下り
「豊国神社」
へと向かった。豊臣秀吉の死去の翌年の1599年(慶長4年)、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。この時、秀吉は東大寺の大仏に倣い、自身を八幡として祀るように遺言したが、結果として方広寺とは別の存在となり、別に神宮寺が建てられ、神号も大明神となっている。後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。
正午になったので、四条通りと大和大路通りの交わる角の祇園OKIビル3階の美々卯(ミミウ)で美味しい昼食を戴きました。食後は2時半まで自由時間となり八坂神社に向かい、お店屋さんを覗きながらの散策を楽しみました。帰り道の途中で
「仲源寺(目疾地蔵)」
に寄って集合場所へ向かいました。
当日、名神八日市カントリー倶楽部で行われた京都室町ライオンズクラブCN33周年記念親善ゴルフ大会の結果がわかりました。
ココをクリック
してご覧下さい。
三十三間堂
三十三間堂
三十三間堂の前で
三十三間堂東側の回廊塀
法住寺の前で
遊びをせんとや生まれけん
可愛いお地蔵さん
法住寺 寺内に後白河法皇像が祀られている
遊びをせんとや生まれけん
六波羅蜜寺
六波羅蜜寺の説明板
六波羅蜜寺入口の観音様
平清盛公の塚
銭洗い弁天
豊国神社の石碑
鳥居に掲げられている豊国大明神の額
豊国神社の鳥居の前で記念撮影
豊国神社の説明板
この唐門(国宝)は伏見城の遺構
家康が言掛りを付けた釣鐘
国家安泰、君臣豊楽
自由行動で八坂神社へ
仲源寺(目疾地蔵)
仲源寺(目疾地蔵)
ありがたきことば
いのちのバトン
仲源寺(目疾地蔵)の説明板